豊富な経験が摩擦を生む時:元教師の知見を活かす、相手に届くアドバイスの伝え方
豊富な人生経験は、私たちにとってかけがえのない財産です。特に、長年にわたり様々な人との関わりの中で培われた知見は、多くの場面で役立つと感じられることでしょう。しかし、時にその経験に基づいた「良かれと思って」のアドバイスや行動が、かえって相手との間に摩擦を生んだり、関係性をギクシャクさせてしまったりすることがあります。
特に、かつて教える立場にいた方々にとって、経験から来る見識や解決策を伝えることは自然なことかもしれません。それが家族、地域、あるいは友人関係において、相手にとって必ずしも歓迎されない形で受け取られてしまうのはなぜでしょうか。この記事では、豊富な経験を人間関係に円満に活かすためのコミュニケーションのヒントと、関係性を守るための心構えについて考えていきます。
なぜ経験からのアドバイスが時に摩擦を生むのか
「私(あるいは自分の周り)の時はこうだったから、あなたもこうすると良い」という形でのアドバイスは、善意からくるものですが、相手によっては受け入れがたいと感じる場合があります。これにはいくつかの理由が考えられます。
まず、時代の変化や状況の違いです。過去の成功体験は、現在の状況にそのまま当てはまらないことがあります。社会の仕組み、価値観、技術などが変化している中で、過去の経験「そのまま」を適用しようとすると、相手は「それは今の時代には合わない」「自分の状況とは違う」と感じてしまうかもしれません。
次に、相手の自立や自己決定の欲求です。特に成人した子供や、自分の人生を歩む友人に対して、一方的に解決策を提示することは、相手の能力を信頼していない、あるいは自分で考え決定する機会を奪っていると感じさせてしまうことがあります。相手は助言を求めているのではなく、単に話を聞いてほしいだけかもしれません。
さらに、アドバイスが「上から目線」や「押し付け」のように聞こえてしまう可能性もあります。経験があるゆえに、つい断定的な口調になったり、「当然こうすべきだ」というニュアンスを含んでしまったりすると、相手は反発心を抱きやすくなります。助言する側にとっては親切のつもりでも、受け取る側は批判されているように感じてしまうことも少なくありません。
経験を「押し付け」ではなく「共有」として伝えるには
では、どうすれば豊富な経験を、相手との関係性を損ねることなく、むしろより良くするために活かせるのでしょうか。鍵となるのは、「アドバイス」という形ではなく、自分の経験を「一つの情報や視点として共有する」という意識を持つことです。
具体的なコミュニケーションのステップとして、以下のような点が挙げられます。
1. まずは「聴く」に徹する
相手が何か困難や悩みを話してきたとき、すぐに解決策やアドバイスを伝えるのではなく、まずは相手の話を丁寧に聴くことに集中します。相手の気持ちや状況を理解しようと努め、相槌を打ったり、「なるほど」「それで、どうなったのですか」といった言葉を挟んだりしながら、話を促します。心理学では、この「傾聴」が信頼関係構築の基礎とされています。相手は、まず自分の気持ちを受け止めてほしいと感じていることが多いのです。
2. 相手の状況や気持ちへの共感を示す
話の内容に対して、自分の経験に基づいた評価や判断をすぐに伝えるのではなく、相手の感じていること、置かれている状況に対して共感を示します。「それは大変でしたね」「〇〇な気持ちになるのも無理はありません」といった言葉で、相手の感情に寄り添う姿勢を見せることが大切です。共感は、相手が心を開き、その後の対話を建設的なものにするための重要なステップです。
3. 求められたら、あるいは適切なタイミングで「提案」として伝える
相手から直接アドバイスを求められた場合や、相手が解決策を模索していることが明確な場合に、自分の経験や知見を伝えます。この際、「こうすべきだ」という断定的な言い方ではなく、「私の経験では、こんなこともありましたよ」「こういう方法も考えられるかもしれません」といったように、「提案」や「選択肢の一つ」として提示します。
4. 「私メッセージ」で伝える
自分の経験を話す際には、「〇〇はダメだ」「あなたは××すべきだ」といった「Youメッセージ」ではなく、「私が以前似たような状況に直面した時は、△△という方法を試したことがあります」「私は〇〇だと感じました」といった「私メッセージ」を用いることを意識します。「私メッセージ」は、自分の視点や経験を主観的な事実として伝えるため、相手を責めているような印象を与えにくくなります。
関係性ごとの具体的な応用例
家族(息子夫婦や孫)との関係性
例えば、息子夫婦の育児方法について、ご自身の経験からアドバイスしたい場面があるとします。すぐに「それは間違っている」「私の時はこうしていた」と伝えるのではなく、まず息子夫婦がなぜその方法を選んでいるのか、どのような点で悩んでいるのかを丁寧に聴きます。その上で、「こんな情報もあるみたいよ」「もし行き詰まったら、私の時はこういう工夫をしていたけれど、今はもっと良い方法があるかもしれないわね」のように、押し付けではなく情報提供や寄り添う形で伝えます。孫に対して教育的な示唆を与える場合も、「こうしなさい」ではなく、「〇〇について、おばあちゃんはこう考えるけれど、あなたはどう思う?」と問いかける形で対話を促すことが、孫の主体性を尊重しつつ経験を伝えることに繋がります。
地域活動や友人関係
地域のボランティア活動で、新しい方法を提案したい場合や、友人が仕事や人間関係で悩んでいるケースなどでも同様です。過去の経験から最適な方法を知っていると思っていても、現在の状況や関わっている人々の考え方は異なるかもしれません。まずは相手の意見や状況をしっかりと聴き、その上で「以前、別の活動でこういうやり方がうまくいったことがあるのですが、もし参考になれば」「こんな専門家の話を聞いたことがあるのだけれど、どう思う?」といった形で、提案として優しく伝えます。相手がアドバイスを求めているサインがない場合は、共感するにとどめることも、関係性を守る上では重要です。
経験を活かしつつ、関係性を守る心構え
何よりも大切なのは、自分の経験はあくまで「数ある可能性の一つ」であると認識することです。自分にとっては最善の方法であったとしても、相手にとって、あるいは現在の状況にとって最善であるとは限りません。相手には相手の考えがあり、その考えに基づいて自分で選択し、経験を積む権利があります。
アドバイスをする目的は、相手を自分の思い通りに変えることではなく、相手がより良い方向へ進むための一助となること、そして何よりも、相手との良好な関係性を維持・発展させることにあるはずです。アドバイスが受け入れられなくても、それは自分の人格や経験が否定されたわけではありません。相手の選択を尊重し、見守る姿勢も、温かい関係性を育む上では欠かせません。
まとめ
豊富な経験は、周囲の人々、特に若い世代にとって貴重な示唆となる可能性があります。しかし、その伝え方によっては、せっかくの善意が摩擦を生み、関係性を損ねてしまうこともあります。経験を人間関係に円満に活かすためには、一方的な「アドバイス」ではなく、相手の話を丁寧に「聴き」、状況や気持ちに「共感」し、そして求められれば「提案」として伝えるコミュニケーションが有効です。
自身の経験はあくまで一つの視点であるという謙虚な姿勢を持ち、相手の主体性や選択を尊重する心構えを持つことが、良好な関係性を長く続けていくための鍵となります。経験を通じて培われた知見を、人間関係を豊かにするための力として、ぜひ穏やかに活用していただければと思います。